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東京高等裁判所 昭和58年(ネ)3184号 判決

控訴人 東京都

右代表者知事 鈴木俊一

右指定代理人 半田良樹

〈ほか三名〉

被控訴人 甲野太郎

右訴訟代理人弁護士 梶山敏雄

同 佐々木新一

主文

原判決中控訴人敗訴の部分を取り消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は主文同旨の判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の主張は、控訴代理人において消滅時効の起算日につき予備的主張として「被控訴人は遅くとも昭和五一年三月末日までには損害及び加害者を知ったものである。」と述べ、被控訴代理人において「控訴人の右主張事実は否認する。」と述べたほかは原判決事実摘示と同一であるから、これをここに引用する(ただし、原判決五枚目裏一一行目に「慢然」とあるのは「漫然」の誤記であるから訂正し、同一五枚目裏一〇行目の「本件損害賠償請求権」の次に「の消滅時効」を付加する。)。

《証拠関係省略》

理由

一  被控訴人が業務上横領の容疑で昭和四七年一二月九日警視庁駒込警察署員に逮捕され、同月一一日勾留状の執行を受け、同月二八日東京地方裁判所に起訴され、その後も引き続き代用監獄である駒込警察署留置場に勾留されていたこと、右勾留中の昭和四八年一月二五日、被控訴人は身体の不調を訴え、同日午後九時三五分ごろ同警察署の嘱託医であった加藤一郎医師の診察を受けた結果高血圧症と診断されたこと、翌一月二六日、被控訴人は担架で房内から運び出され、午後二時ごろ東京拘置所に移監され、同日以降同拘置所において脳溢血症患者として治療を受けたこと、以上の事実については当事者間に争いがなく、《証拠省略》を総合すると、被控訴人は昭和四八年一月三〇日勾留執行停止決定により釈放され、同日医療法人社団厚生会埼玉厚生病院に入院して脳溢血症の治療を受け、昭和五一年一二月二五日退院したが、現在なお右脳溢血症の後遺症として中等度の右半身不全麻痺及び軽度の言語障害が残存していることが認められる。

被控訴人は、被控訴人の脳溢血症は昭和四八年一月二五日午後七時ごろ駒込警察署留置場内で発症したものであるところ、右発症は駒込警察署の署長及び署員が留置人である被控訴人の健康を保全するため十分な注意を払わなかったことから生じたものであり、また、同警察署長及び署員は被控訴人の発症後も直ちに専門の医療施設への収容手続をとることなく、東京拘置所に移監するまでの間漫然と被控訴人を放置して症状が悪化するままに委せ、脳溢血症の初期治療を受ける機会を奪ったため、被控訴人に回復不能な後遺症を残すに至らしめた旨主張するので、以下、右主張について順次判断する。

二  まず、東京拘置所に移監されるまでの被控訴人の主として駒込警察署留置場内における健康状態及び駒込警察署係官の執った措置について検討する。

1  《証拠省略》を総合すれば、以下の事実が認められ(る。)《証拠判断省略》

(一)  駒込警察署では留置人に対し定期的に嘱託医による健康診断を実施しているが、被控訴人(当時四一歳)は、昭和四八年一月一三日に嘱託医加藤一郎医師による定期健康診断を受けた際、血圧が最高一五〇、最低九〇で、感冒にかかっていると診断され、かぜ薬の投与を受け、同月二〇日に行われた同医師による定期健康診断の際には、血圧が最高一六〇、最低九〇で、健康状態は「健康」と診断された。同月二四日午前一〇時ごろ、被控訴人は看守係主任石井昭(以下「石井主任」という。)に対しかぜを引いたようだから医者にみせてもらいたい旨依頼し、加藤医師の来診を得て同日午前一一時五〇分から午後零時一〇分まで留置場内医務室において診察を受けた。その際の血圧は最高一四〇、最低八〇であったが、被控訴人は目まいと便秘とを訴え、その結果、感冒の疑いがあるとして同医師から投薬を受けた。

(二)  被控訴人は、翌二五日早朝から目まいをひどく覚え、頭や両肩が異常に重く感じられたので、同日午前一〇時ころ石井主任に対しその旨を訴えたところ、同主任は、留置場二階の独居房第一〇房が日当たりが最も良好で閑静な房であったところから、被控訴人に対し第一〇房に移るようにと指示し、被控訴人は一階の雑居房から二階の第一〇房に移り、毛布十二、三枚の支給(通常の場合冬季は九枚支給)を受けて臥床した。同日午後、被控訴人は零時四〇分ごろ出房して取調室に赴き、同所で妻花子と面会し、一時四〇分ごろ房に帰ったが、取調室に行く際にめまいがして手摺りなどに掴まらなければ歩けないように感じたので、同署捜査係長安西康男(以下「安西係長」という。)に対し医師の診察を受けたい旨申し出た。安西係長は石井主任を通じて加藤医師に来診を求めたが、生憎同医師は他に往診中で不在であったため来診が遅れ、石井主任が何度も迎えに行った末に午後九時三五分ごろにようやく来署した。加藤医師は来署後直ちに留置場内の一階医務室で二〇分位被控訴人を診察し、右診察には安西係長、石井主任及び看守係宿直勤務員の迫地勝治巡査が立ち会ったが、被控訴人は加藤医師の問診に対し、めまいと吐き気がすると訴え、加藤医師が検温と血圧の測定をしたところ、発熱は無く、血圧は最高一六〇、最低が八〇であった。加藤医師は被控訴人の疾病を高血圧症と診断し、血圧降下剤(一回二錠)を投薬することとし、安西係長に対し、少し血圧が高いので被控訴人を医師のいる場所に移した方がよい旨意見を述べた。そして、被控訴人は二階第一〇房に戻り、加藤医師が投与した血圧降下剤を服用して就寝した。

(三)  安西係長は、一月二五日の夜は宿直番に当たっていたが、被控訴人の体調が翌二六日朝になっても回復しない場合には、当日予定されていた検察庁への押送(被控訴人は検察官の取調べのため一月二六日午前七時三五分に出房して検察庁に押送される予定であった。)を取りやめて、上司と協議の上被控訴人を医療設備の整っている東京拘置所に移監することを考え、二五日夜の他の宿直幹部(幹部とは巡査部長以上の階級にある者をいう。)に対し、房内巡視のときは被控訴人の顔色とか寝息など身体の状態について注意を払い、異状があった場合には知らせてもらいたい旨依頼した。一月二五日深夜から翌二六日午前六時の留置人起床時刻までの間、安西係長外五名の宿直幹部は二交替で留置場を含む署内を一時間三回ずつ巡視し、留置場内では看守係勤務員六名が三交替で見張台上から終始房内の監視等に当たったが、被控訴人について特段の異状は発見されなかった。しかし、被控訴人は二六日午前六時の起床時刻になっても起床せず、全身の脱力感、倦怠感、右下肢のしびれなどから、ぐったりとした状態で毛布にくるまって横臥しており、午前六時一五分の点呼も寝たままで受ける状況であったため、安西係長は、被控訴人の検察庁への押送の取りやめ方を看守係の宿直勤務員に指示した上、同日午前八時過ぎごろから前後して登庁してきた担当上司である同署刑事課長、次長及び署長に対して逐次宿直報告を行い、被控訴人を医療設備の整っている東京拘置所に移監すべきである旨意見を具申し、被控訴人の東京拘置所への移監を検察官に請求することについて右各上司の決裁を得た。

(四)  そこで、安西係長は、その旨を検察庁に電話で連絡した上、看守係水越敬三巡査に命じて一月二六日午前一〇時ごろ移監請求書と加藤医師の診断書を担当検察官のもとに届けさせ、水越巡査は、検察官から交付を受けた移監指揮書を裁判所に持参して移監に対する裁判官の同意を得た上、検察庁令状課に報告を済ませて同日正午ごろ移監指揮書を駒込警察署に持ち帰った。安西係長は、直ちに東京拘置所に対し被控訴人を移監のため護送する旨電話で連絡したところ、拘置所側から受け入れの都合上午後二時ごろ到着するようにされたい旨の要望があったので、同日午後一時半の少し前ごろ、被控訴人の入っている第一〇房の前に行き、房内で毛布にくるまって仰臥していた被控訴人に対し「移監だから起きるように。」と声を掛けた。すると、被控訴人は、少し頭を持ち上げて「病院ですか。」と行先を尋ね、安西係長から「東京拘置所だ。」と告げられると急に口をきかなくなり、起き上る気配を見せなかった。被控訴人は、気分が悪かったため起き上る気力がなかったのであるが、安西係長は、移監先が病院でなく拘置所であるため被控訴人が不貞腐れて起き上らないものと判断した。しかし、東京拘置所の指定した到着時刻に遅れないようにするため、安西係長は水越巡査に命じて担架を房内に入れさせ、安西係長、石井主任、水越巡査及び外一名の警察官が四人がかりで被控訴人を担架に乗せて房外に出した上護送車に搬入し、右四名も乗り込み、石井主任が護送車を運転して午後一時半ごろ駒込警察署を出発し、東京拘置所に向かった。

(五)  被控訴人は、東京拘置所に向かう車内では毛布にくるまって仰臥したままほとんど動かなかったが、同拘置所手前の土手の付近で護送車が停車した際、毛布から右手先を出し、指を二、三回口元あたりに近付けて「たばこ」、「たばこ」と声を出し、同乗していた安西係長に対してたばこを求めるしぐさをした。しかし、安西係長はたばこを与えず、やがて護送車は午後二時ごろ東京拘置所に到着し、水越巡査が被控訴人を背負って同所内に運び入れた。

2  被控訴人は、駒込警察署内における被控訴人の症状として、昭和四八年一月二五日午後七時ごろ房内において嘔吐し、さらに翌二六日午前五時ごろには右半身全身が麻痺して排尿は垂れ流しの状態になった旨主張し、右主張に添う証拠として、原審(第一、二回)及び当審における被控訴人本人尋問の結果中には「一月二五日夕食後房内で寝ていたところ、午後七時半前後ごろ非常に気分が悪くなり、嘔吐した。加藤医師の診察を受けた後就寝したが、同夜一二時ごろ、尿意を催したので立ち上ろうとしたら右半身に全く力が入らず、やっと金網に掴って立ち上ったが全然歩行できなかった。そこで看守の迫地巡査に対し「歩けない、用便できない。」と訴えたところ、洗面器の中にするようにと指示されたので立ったまま洗面器に放尿し、看守が洗面器を始末してくれた。それから約三時間眠ったが、目覚めた際に両足が硬直状態になっていたので「オーイ」と看守を呼んだが、小さな声しか出なかったため誰も来てくれなかった。その後尿意を催したが、大きな声が出ず看守に意思を伝えることができないため、寝たまま排尿し、着衣と毛布が濡れた。」との供述部分がある。

しかし、右供述部分は次に指摘する事情並びに《証拠省略》に照らせば容易に信用することができない。

(一)  嘔吐及び失禁の回数について被控訴人の供述するところによると、①嘔吐したのは二回で、最初の時は毛布の上に吐き、二回目の時は看守に洗面器を入れてもらってそれに吐いたような気がするが、最初に嘔吐する前に洗面器を入れてもらって二度とも洗面器に吐いたかもしれず、その点ははっきりしない。翌朝寝床の中で垂れ流しをしたのは午前六時ごろと一〇時ごろの二回である(原審第一回供述)、②嘔吐したのは一回だけで、床に直接吐いた。迫地看守が床をふいて、次の嘔吐があると困るので洗面器を差し入れてくれた。翌朝寝床の中で垂れ流しをしたのは午前四時から六時までの間一回だけである(原審第二回供述)、③二五日夜は床の上に吐いた。洗面器を迫地看守に入れてもらったが、これに吐いたことはない。翌朝寝床の中で垂れ流しをしたのは午前六時ごろと一〇時ごろとの二回である(当審供述)、というのである。右のように、被控訴人の供述内容は供述の都度区々であって全く一貫性がなく、真の体験事実を報告しているものとは考え難いものがある。

(二)  《証拠省略》を総合すると、昭和四八年一月二五日夜から翌二六日朝にかけて駒込警察署の留置場には被控訴人以外に少なくとも九名の留置人が在監し、そのうち三名は公安事件で牛込警察署に逮捕され、駒込警察署に分散留置された氏名黙秘の被疑者であり、当夜留置場二階の各房には被控訴人以外の留置人は入房していなかったものの、洗面器は留置人の洗顔用として一階洗面所に備え付けられている共用物件であり、看守が被控訴人に洗面器に放尿を許したとすれば、もしそれが他の留置人に知れた場合には留置人達が抗議して騒ぎ出すおそれがあったこと、同署の留置場には従来から携帯便器が備品として備え付けられていたことが認められる。右の事実からすれば、迫地看守が留置場内の混乱を招く危険を冒してまで被控訴人に対し洗面器への放尿を指示したというがごときは、看守の行動としては極めて不自然であると評するのほかはない。

(三)  後記認定のとおり、被控訴人に対しては東京拘置所病監に収容後の一月二六日午後三時前ごろ同拘置所の医師により導尿が施行されているのであるが、このことは、被控訴人に長時間排尿がなかったことを示すものと考えられ(《証拠省略》には、意識障害ある患者の看護法として、「八時間以上排尿がなければ導尿する。」との記載がある。)、同日午前一〇時ごろ寝たまま排尿したとする被控訴人の供述と矛盾する。

もっとも、《証拠省略》の留置人健康診断簿には一月二五日の被控訴人の症状として「めまい、嘔吐」と記載されているけれども、前掲石井、安西、迫地証人の各証言に徴すれば、右記載部分は加藤医師が問診の結果を記載したものであって、駒込警察署員の認識した事実を記載したものではなく、「嘔吐」とあるのは被控訴人が「吐き気がする」と訴えたのを加藤医師が誤記したものと認められるから、右の記載は被控訴人の前記主張事実を証すべき資料とするに足りず、他に前記主張事実を認めるに足りる証拠はない。

三  次に、東京拘置所に移監された後埼玉厚生病院に入院のため出所するまでの間における被控訴人の症状の経過について検討する。

1  《証拠省略》を総合すると、次の事実を認めることができる。

(一)  被控訴人は、前述のとおり昭和四八年一月二六日午後二時ごろ東京拘置所に移監されたのであるが、同拘置所に到着直後の入所手続の際、立っていることができず、事務室前の広い土間に敷かれたござの上に横たわっていた。被控訴人はその場で着衣を鋏で切って脱がされ、全裸とされた上で白衣に着替えさせられ、次いで拘置所の係官から住所氏名を自署するように求められたので、右手でボールペンを執ってメモ用紙に自己の住所氏名を記入しようとしたが、容易に筆が進まず、ようやく書き終ったものの文字が乱れていてほとんど判読できなかった。それから入所時の写真撮影が行われ、それが終わった後被控訴人はストレッチャー(担送車)に乗せられ、高血圧症患者として一病一階二二房に収容されたが、それまで被控訴人の意識は終始澄明であり、意識の混濁や喪失等の症状は見られなかった。そして、同日午後二時三〇分被控訴人に対し粥食、減塩食及び運動入浴停止の指定がされた。

(二)  ところが、その直後に同拘置所医務部の佐瀬民雄医師が入所時健康診査のため被控訴人を診察したところ、その際の被控訴人の病状は、①意識なく、横臥位にて口中に泡があり、いびきをかいており、②上下肢とも肘及び膝関節で屈曲して胸部に置き、左手及び左足先のみ多少動かし、両下肢は伸展強直し尖足状態で、いわゆるマンウェルニッケ姿態をとっており、③血圧は最高一八〇、最低一一〇を示し、④神経学的には、しょう毛反射、角膜反射及び瞳孔対光反射はほとんど見られず、両下肢にバビンスキー反射が見られる、という状況であった。そこで、同医師は脳内出血と診断し、直ちにカテーテルによる導尿、酸素吸入及び薬剤による点滴治療を開始し、同日午後三時五分被控訴人に対して重症指定が行われ、同日午後三時四〇分に同拘置所庶務課から東京地方裁判所刑事第一四部書記官あてに被控訴人が本日午後三時五分脳内出血のために重体に陥った旨の電話連絡が行われた。

(三)  その後、東京拘置所では昼夜を分かたず被控訴人の治療に努め、かつ、夜間には特別動静観察を実施し、二〇分ないし三〇分ごとに経過を見て容態の変化を見守ってきた。その結果、被控訴人の容態は同月二九日には小康状態となり、同月三〇日には、血圧も最高一四二、最低九二で体温も三六・五度となり、右半身麻痺及び発語不能ではあるが、簡単な問いかけは分かるようになり、首を振ることによって否定の意思を表現することができるようになった。この状態で被控訴人は埼玉厚生病院に入院するため東京拘置所を出所した。

2  以上の認定に反し、前掲甲第六号証の診断書には「昭和四八年一月二十六日午後二時頃当所に入所したものであるが、すでに意識全く不明」との記載があり、前掲甲第二一号証中の保健課長作成名義の視察表にも「当所に入所したときから昏睡状態であった。」との記載がある。

しかし、被控訴人は原審(第一、二回)及び当審における本人尋問において、東京拘置所に到着した時から入所手続を終えて病房に収容されるまでの経過の一部始終を記憶して克明に供述しており、入所当時意識は九五パーセント以上はっきりしていたと断言しているのであって、右供述内容には不自然と見られる点もなく、他にその信用性を疑うべき事由は認められないので、入所時に被控訴人が意識不明で昏睡状態にあったものとは到底考えられないところである。したがって、右各書証の記載部分は何らかの誤りに基づくものとするほかはないから、これによって前示三・1・(一)の認定を覆すことはできない。

また、前掲甲第二一号証中の病状経過表には「午後二時十五分ころ、入所時健康診査を実施する。診察時、意識なく……直ちに病舎に収容し……酸素吸入」との記載があるけれども、他方において、同号証中の動静経過表には「高血圧の為め一病一階二十二房に入房、カユ、減塩、運入浴停止14、30分」との記載があり、その次の行に「酸素吸入実施、十五時五分重症指定」との記載が存するのである。そして、前記病状経過表は、東京拘置所当局が被控訴人にかかる健康診察簿(診察録)を基にして昭和五一年一月に作成した書面であって、診療の都度作成した病状記録そのものではない(このことは甲第二一号証中の送付書の記載によって明白である。)のに対し、前示動静経過表は、その形式体裁に照らし、担当看守が毎日記入して上司に供閲する記録であると認められ、担当看守が医師の指示もないのに患者の食事の種類や運動入浴の停止を決定することがあるものとはにわかに考え難い。したがって、特段の事情の認められない本件にあっては、右動静経過表記載のとおり、被控訴人は最初のうちは高血圧患者として病監に収容され、午後二時三〇分に医師から担当看守に対し粥食、減塩食、運動及び入浴停止の指示があったものと認めるのが相当である。

そうすると、もし午後二時三〇分より前に被控訴人が昏睡状態にあり、酸素吸入等の処置が開始されていたとすれば、そのような重篤な患者について医師がわざわざ前記のような指示をすることは考えられないところであるから、前記病状経過表の記載のうち入所時健康診査を実施した時刻が午後二時一五分であるとする部分は不正確である疑いが強い。

(なお、原判決は、前記動静経過表に存する「14、30分」との記載は、右時刻に看守が拘置所内の厨房その他の係看守に食事内容等を連絡したことを記入したにすぎないと推測することが可能であると説示しているが、午後二時一五分に被控訴人が昏睡状態であり、直ちに酸素吸入等の処置が開始されていたとすれば、病監の担当看守がその事実を知らないはずはないから、午後二時三〇分に担当看守が拘置所内の厨房その他の係看守に被控訴人の食事の種類や処遇方法等を連絡するようなことは有り得ないところであって、原判決のような推測は成り立たない。)

それゆえ、被控訴人に対する入所時健康診査は午後二時三〇分より後に実施されたものと認めるのが合理的であって、前記病状経過表の記載中右診査の実施時刻に関する部分は採用することができない。

なお、被控訴人本人は、拘置所の病房に収容された後も終始意識があったように供述しているけれども、当審鑑定証人田平禮三の証言によれば、前記健康診査における検査結果に照らすと、患者の意識がはっきりしているのに診察した医師が昏睡状態にあると診断することは有り得ないことが認められるから、被控訴人本人の右供述にもかかわらず、被控訴人は病房に収容後継続的ながら昏睡状態にあったものと認めるのが相当である。

そして、他に前示三・1の認定を左右すべき証拠は見当たらない。

四  進んで、被控訴人の脳溢血症の発症の原因及び発症時期について考察する。

1  《証拠省略》によると、被控訴人の脳溢血症は、その臨床症状から見て脳幹部の内包又は橋部に出血が生じたものと判断されるが、右出血は体質的・遺伝的な本態性高血圧症に起因するものであることが認められる。

ところで、本態性高血圧症の原因は十分解明されているとはいえないが、いくつかの原因又は誘因が考えられ、遺伝が最も有力な原因で、その他日常の生活環境から生じるストレス、食生活の偏り(特に過食及びコレステロールの過剰摂取)等が誘因として挙げられるのが通例である。高血圧症の自覚症状は、高血圧のために生じた動脈硬化から起きるもので、脳動脈硬化のある高血圧症の場合には、頭重、めまい、肩こり、手足のしびれ等の自覚症状があり、時としては脳動脈のけいれんのため卒中発作に似た症状が現れることもある。脳溢血は、動脈硬化のためもろくなった脳動脈の一部が何かのきっかけで破れ、血液が脳の組織の中に洩れ、多量の場合には溢れ出す状態であり、そのきっかけとしては、排便時のいきみ、急激な寒暖の温度変化、精神的衝撃、過激な運動等が挙げられているが、これらは、いずれも短時間のうちに急激に血圧を上下させるような刺激作用を営む点において共通している。

以上は、高血圧症及びこれに起因する脳溢血に関する初歩的、啓蒙的知識であって常識的な経験則といえるものであるが、日常の生活環境から生ずるストレスが高血圧症の誘因となり得ることは右に述べたとおりである。しかるところ、被控訴人は原審における本人尋問(第一回)において、駒込警察署の留置場における処遇につき、暖房設備が無く日当りが悪いため昼間は寒いとか、毛布が粗末であるとか、昼間は横になることが許されないとか、種々の不満を述べているけれども、それらはどこの留置場においても見られる現象であり、駒込警察署の処遇が特に劣悪であったものとは認められず、他方、《証拠省略》によれば、被控訴人はこれまで数回の逮捕歴があり、昭和三四年には実刑の判決を受けて約一年二箇月間服役したこともあって、拘禁生活は初体験ではなかったこと、被控訴人の父は高血圧で一年位入院したことがあり、被控訴人らの兄弟間では、体質的なものがあるだろうから、四〇歳を過ぎたら注意しなければなるまいと日ごろ話し合っていたが、本件後の昭和五三年には被控訴人の長兄が血圧の関係で一箇月位入院したことが認められ、これらの事情に照らせば、被控訴人は、勾留されていない場合でもその家系から見て高血圧症にかかっておかしくない年令に達しており、駒込警察署における一箇月半程度の勾留生活によるストレスが誘因となって高血圧症にかかったものとは到底認められない。

そして、被控訴人の脳溢血症が被控訴人主張のように駒込警察署留置場に在監中の昭和四八年一月二五日午後七時ごろ発症したものであるか、それとも控訴人主張のように翌一月二六日午後東京拘置所に移監後に発症したものであるかについては争いがあるけれども、そのいずれであるとしても、発症の直前にそのきっかけとなるような心身の刺激が被控訴人に加えられたことをうかがうべき証跡は全く存しないのであり、このことは、被控訴人の脳動脈が長年にわたる動脈硬化のため徐々に劣化し、自然に破れて出血するに至ったことを示すものと考えられる。

右に認定説示したところによれば、駒込警察署の留置場における被控訴人に対する処遇が被控訴人の脳溢血症の発症について原因を与えているものとは認め難いものというべきであり、他に両者の間に因果関係があることを認めさせる証拠はない。

2  《証拠省略》に前示二及び三の認定事実を総合して考察すると、次の事実が認められる。

すなわち、脳幹部に出血が始まると、後遺症を残さないような軽度の出血の場合を除き、通常は血行の遮断により急速に意識が消失し、昏睡状態に陥り、同時に四肢麻痺等の運動障害が生ずる。しかし、出血開始から意識障害が生ずるまでの時間は出血の量や部位によって左右され、短いときは数分以内、長いときは数時間を要することがある。一般的にいえば、出血量が多いほど発症から意識障害の生ずるまでの時間が短い。脳幹部の外側に近い橋部に出血した場合には、出血量が少ない割に意識障害が強く現れ、重篤な後遺症を残すが、内包に出血した場合には、麻痺症状が意識障害より早く現れ、後遺症は軽い。めまいや嘔吐は、高血圧に伴い脳血管にけいれん等の循環障害が起きたことを示すものであって、脳血管からの出血があったことを意味するものではない。意識障害又は神経麻痺が認められれば脳出血が発症したものと判断することができるが、運動障害があっても、それが神経麻痺か不全麻痺(しびれ)かを識別しないと発症の判断はできない。右の識別は麻痺側の中枢神経の深部反射を利用してある程度判定することができる。意識障害又は神経麻痺が認められる場合には、安静を保ちつつ速かに医学管理の十分な施設に移し、降圧剤、止血剤、二次感染防止のための抗生物質、栄養補給のための薬剤を点滴により投与する必要がある。

ところで、本件において被控訴人の脳溢血の出血部位が脳幹部の内包であったか橋部であったかは判然としないのであるが、東京拘置所に移監されるまでは被控訴人に意識障害は全く生じていなかったし、四肢に完全な麻痺が生じていたものとも認められないのに、被控訴人が拘置所の病房に収容後急速に意識喪失、四肢の麻痺を来たしたことから見ると、そのころ中等度の脳出血が生じた疑いが強い。それ以前においては、少なくとも一月二五日夜に被控訴人が加藤医師の診察を受けた時は脳に出血が始まったことを疑わせるような徴候は認められなかった。また、一月二六日朝には、被控訴人は全身の脱力感、倦怠感、右下肢のしびれなどから起床することができなかったのであって、右の症状は、極めて軽度の脳出血が生じたことを示すものと解することもあながち不可能ではないが、他方におい、高血圧症であっても右の程度の症状は現れることがあるのであるから、一月二六日朝の時点においては、被控訴人に脳出血が始まっていたものとも、いなかったものとも断定することは不可能であり、その後同日午後に東京拘置所に移監のため護送車で出発するまでの間においても同断である。

以上のように認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。そうすると、被控訴人の脳溢血症が駒込警察署留置場に勾留中に発症したものとは認定することができない筋合である。

五  以上のとおり、前示一後段掲記の被控訴人の主張は、いずれもその前提を欠くものであって採用することができず、被控訴人が駒込警察署の留置場における拘禁生活に起因して脳溢血症に罹患したものと認められないのはもちろん、昭和四八年一月二五日夕方から翌一月二六日東京拘置所に移監されるまでの間に被控訴人の脳溢血症が発症したものと断定することもできず、駒込警察署における被控訴人の症状は、寸刻を争って病院その他の医療施設に移送する必要があるものであったとは認め難いところであるから、被控訴人の右脳溢血症の罹患又は病状の増悪について控訴人の公権力の行使に当たる駒込警察署の署長及び署員の職務上の注意義務違反があったものとすることはできない。

よって、国家賠償法一条一項の規定に基づく被控訴人の控訴人に対する本訴請求は失当として排斥を免れず、同条項に基づく控訴人の損害賠償責任を肯定して被控訴人の請求の一部を認容した原判決は不当であって、本件控訴は理由があるから、民事訴訟法三八六条により原判決中控訴人敗訴の部分を取り消して被控訴人の本訴請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき同法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 柳川俊一 裁判官 近藤浩武 三宅純一)

〈以下省略〉

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